津村紀三子とは誰か?女流能楽師がなぜgoogleイラストに?

  • 8月 16, 2022
  • 8月 16, 2022
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Google Doodleと呼ばれるGoogleのイラストは、特定の日に特別な仕様となります。

2022年8月16日のグーグルのロゴ画像は、津村紀三子の生誕120周年記念のものでした!

能楽師の津村紀三子とはどんな人なのでしょうか?

また、数多くいる著名人のうちなぜ津村紀三子がgoogleロゴ画像に選ばれたのかも気になりますよね!

この記事では津村紀三子とは誰か?女流能楽師がgoogleロゴ画像になった理由とは?を解説します。

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2022年8月16日のGoogleイラストは津村紀三子の誕生日120周年!

2022年8月16日のグーグルのロゴ画像は、津村紀三子さんの生誕120周年記念のものでした!

1902年8月16日が津村紀三子さんの誕生日です。

Google Doodleと呼ばれるGoogleのロゴは、世界共通のものもあれば、日本のみの場合もあります。

今回は日本限定のデザインだったようですが、youtubeでは英語(english)での音声説明も公開されていましたね。

津村紀三子とは誰か?

津村紀三子とは誰か?女流能楽師がgoogleロゴ画像になった理由とは?

津村紀三子さんとは、かつて男性中心だった能楽界で最初に能楽師範として活躍した女流能楽師です。

津村紀三子の読み方

津村紀三子さんの読み方は、つむらきみこさんです。

津村紀三子の生い立ち

津村紀三子(つむらきみこ)さんは1902年(明治35年)兵庫県明石生まれ。

本名は「しげ」で、結婚前は津村君子と呼ばれていました。劇作家の津村京村さんを兄に持ちます。

津村紀三子さんは劇作家と恋に落ちたことをきっかけに、伝統演劇の道を進むことを心に決めます。
ただ、1900年代初頭の東京では、女性は能を習うことはできても、プロの舞台には立つことは禁じられていました。

女性として能楽師を志すには大きな困難が伴う時代でした。

津村紀三子の転機

津村紀三子さんは17歳のときに、観世嘉助(いのうえかすけ)さんのもとに弟子入りします。

津村紀三子さんは、たちまち才能を発揮し、200曲を超える古典の能楽を全て暗記してみせました。
当時日本の植民地だった韓国の釜山にある京城(現在のソウル)で能を生徒に教えるようになると、能力の高さから評判の能楽師範として知られるようになります。

そして、19歳のとき、津村紀三子さんは、念願がかなって初舞台を迎えることができます。
ただ、韓国で能の舞台に出演したことが日本に伝わり、能楽協会の逆鱗に触れます。

津村紀三子さんは、能楽協会と近づくことを禁止され、観世嘉悦との師弟関係も解消させられてしまいます。

津村紀三子の女流能楽師としての活躍

男性社会の能楽協会から、女性という理由だけで活躍の機会を奪われてしまった津村紀三子さん。
困難な状況にもめげず、1925年に日本へ帰国すると、自分で「緑泉会」という流派を立ち上げます。

その後50年間、日本と韓国を往復しながら、自分で能の戯曲を制作し、上演するなど精力的に活動しました。
こうしたことから、津村紀三子さんは、後世の女性能楽師への道を開いた人物として今もなお知られています。

また、能楽の可能性を広げたという点では、男女関係なく能楽界に大きな功績を残した人物でもあります。

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女流能楽師の津村紀三子がgoogleロゴ画像になった理由とは?

女流能楽師の津村紀三子がgoogleロゴ画像になった理由とは?

能楽はかつて男性中心社会の象徴だった

能楽とは、能面と衣装をまとった演者が、謡や楽器演奏にあわせて演技や舞いを披露する日本の伝統芸術です。

能は室町時代(14世紀)に成立してから江戸時代まで男性のみで演じられてきました。
特に舞台は女人禁制と言われていました。

女性の声は太く低く響く謡には向かないとされ、装束や面などのサイズも男性向けしかなかったため女性には適さないとされていたのです。

津村紀三子は能楽における女性の社会進出を体現した象徴的存在

こうした男性中心社会だった能楽の世界に大きな風穴を開けたのが津村紀三子さんです。

困難にもめげず、女性でも能楽を制作し、上演することが可能だと人生を通した活動で証明し続けました。

津村紀三子さんの功績によって、現在は多くの女流能楽師が活躍をしています。

津村紀三子さんは女流能楽師として活躍することで、能楽への女性の社会進出を体現した象徴的存在となったのです。

女流能楽師の津村紀三子がgoogleロゴ画像になった理由とは?

女流能楽師の津村紀三子さんがgoogleロゴ画像になった理由には、津村紀三子さんが男女平等への道を切り拓いたパイオニアであるという側面が大きくあります。

男性中心社会なのは能の世界だけに限りません。

以前に比べて男女平等は広まってはいるものの、まだまだ女性の前には不利や不平等などの格差があります。

社会では男女の賃金格差、家庭では家事や子育ての労働時間の偏り。

制度上では平等に見えても、暗黙の了解で実質的には女性が不利なことを表す「ガラスの天井」という言葉もあります。

残念ながら、依然として男女平等の問題は解決されていないのが現状です。

こうした中で、かつて女性として社会進出を成し遂げた女流能楽師の津村紀三子さんの過去の功績を称えることが、改めて私達の社会を考える契機となるということでGoogleのロゴ画像に起用されたのが理由だと考えられます。

まとめ|津村紀三子とは誰か?女流能楽師がgoogleロゴ画像になった理由とは?

この記事では津村紀三子とは誰か?女流能楽師がgoogleロゴ画像になった理由とは?を解説しました。

2022年8月16日のグーグルのロゴは、津村紀三子の生誕120周年記念の画像でした!

・1902年(明治35年)兵庫県明石生まれ。
・能楽界で最初に能楽師範として活躍した女流能楽師。
・緑泉会を宰主。
・能楽における女性の社会進出のパイオニア的な存在

津村紀三子さんは能楽における女性の社会進出を体現した象徴的存在です。

津村紀三子さんの過去の功績を称えることで、改めて男女平等の社会について考える契機にするためGoogleのロゴ画像に起用されたのではないでしょうか。

能楽と言えば、「鬼滅の刃」と能のコラボがあるって知っていますか?

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